SSブログ

備忘録 [その他7]

 まったく脈絡が無いのだが、思い出したので書く

++++++++

 会議という物は、本来アイディアを出して討論して決議を取って結論を出す、と言う事を時間内にやらなきゃいけない。と言うか、結論を出すのが目的だし、時間内に納めるのが司会者の腕の見せ所というか、力量なわけだが。
 つまり、日本で広く行われているアレは、「会議」じゃ無いんだよね。じゃあ何かというと、ありゃ「共同体の寄り合い」なんですよ。そこでは「共同体の構成員が全員出席」して「全会一致」となることが求められる。だから会議の出席者がやたら人数が増えて、討議がされているのか分からないのかだらだら続いて、それでいて「みんなで決めました」になるのだ。
 この「構成員の意見を統一」というのは、中世あたりの狭い共同体では非常に重要で、結果が間違った場合、だれか反対した人が居たりすると「そらみたことか」と責任問題に発展してしまうのよね。全員一致なら、責任問題は発生しない。

 この「狭い共同体の論理」というのは現代でも息づいていて、と言うか、そちらの方が生物としては本来なのでしょう。そういうので目に付くのが、「とにかく上下関係を確定しないと気が済まない人間」というのがあります。ちょっと狭い集団(村とか会社とかあきらかな共同体だけじゃ無くてPTAとかママ友とか)だと、すぐにマウンティング始める人種が居ますが、あれは生物の本能でやってるだけなんですよね。日本の田舎に住むと、とにかく上下関係が厳しく、また何かにつけ上下関係を確定しようとする(上記のように田舎に限りませんが)
 何故かというと、「上下関係を確定して、上は命令するだけ、下はそれに従うだけ」だと、いちいち判断しなくて済むので、エネルギー消費を抑えられて楽なんですよね。そして上の人間は考えて判断しているかというと、もちろんそうでは無くて昔からの慣習を貫こうとする。これは考えなくて済むだけでは無くて、構成員に判断力が無くても、社会が廻るという平時には合理的なシステムな訳です。上がバカでも平時には問題が出ません。いや問題だらけですが。そして非常時には当然対応できなくなって、全部ガラガラポンが起こるわけですが、そこまでこっちが心配することでは無いよね。とにかく、上下関係が固定していないと、結局毎回競争や価値判断が起こってエネルギーを大量消費してしまいますからね。田舎で上下関係が固定していて全部過去からの慣習を押し通そうとするのは生物学的には合理的です(それを良いとは全く思いませんが
 これは共同体の人数が、お互いがお互いを把握できる人数(100-150名くらい)の時には非常に機能します。狭い共同体でマウンティングおっぱじめるのは、あれは生物の本能なのです。
 で、それより多い人数、都会とかに住むコスモポリタンになると、もう上下関係とか把握できないわけです。隣近所以外はもう一期一会になっちゃうしね。そこでは、会う人が自分とどういう関係性なのかを毎回毎回判断しなければならないわけで、エネルギーを使うのですな。そして身なりや立ち振る舞いをきちんとすることはとても重要、なにせ最初は見た目とか最初の挨拶で関係性を決定しなくてはなりませんからね。だからきちんとした身なりをしておくとか、丁寧な挨拶をするとかは都会では重要なのです。田舎では、適当な格好をしていても、お互いがお互いの関係性を既に把握しているので、たいして問題じゃあ無いのです。
 所が、都会に住めば分かりますが、人間関係もクソも何も、命令するされる以前に、金を払って対価を得るだけの関係というのもあります。お店の店員がこちらに丁寧に接するのは、商売に合目的だからであって、上下関係じゃないのです。ところが、本能で生きている方々にはそれが分からず、コンビニ店員なんかにマウンティング始めちゃうわけですよ。然もなくば客で或る自分の方が上だと判断して命令し出すとか。非常にみっともないですが、そういうのってコスモポリタンのエネルギーを使う生活様式に適応できてないだけなんですよね。

IMG_6754.JPG
nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:日記・雑感