SSブログ

都議選雑感 [その他7]

 歴史は2度繰り返す。一度目は悲劇として、二度目は吉本新喜劇として。

 一度目は言うまでも無く2009年民主党政権のことである。自民党に灸を据えるとか言って、お灸を据えられたのは国民だった。国民はもう早忘れている。と言うか、都政なんだから国政関係ないだろうに。
 もちろん小池っちの遊泳術というか嗅覚は凄い。徒手空拳でアナウンサーから日本新党で政治入り以後もまさしくバルカン政治家である。ただ明らかに遊泳術だけで、肝心の都政は既にぐちゃぐちゃであって、築地問題なんか一年間停滞させただけで、そして一年延ばしたらオリンピックのスケジュールが全部ぐちゃぐちゃになったのだが、本人気がついているのかしら。
 そういう正しい判断が出来てないって見りゃ分かりそうな物だが、都民はこりゃまあ衆愚政治の見本みたいな事になっとる。
 だいたい家計学園とか盛り友学園とかおばさんが奇声を発するとか、政権が倒れるネタじゃ無いよ。だいたい安倍っちを排除すればユートピアが訪れるとクソサヨや朝日新聞は本気で思ってそうだけど(2009年を忘れたのかな?)、もちろんそうじゃ無くて、それは在日は日本から出て行けと言うのと同じくらいの情けない理屈だと分からないのかな。左翼は低脳だから分からないんだろうな。「悪い物を取り除けば理想社会が訪れる」わきゃねーだろ死ね!!

IMG_6005.JPG
nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感

疲れた [その他7]

https://togetter.com/li/1123889
いまの若者は「批判」を「悪口」や「人格否定」と捉えている?今井絵理子さんのツイートが意外な方向で議論を呼ぶ

 トイレしててふと思ったんだけど(特に意味は無くてトイレとか風呂は考え事がはかどる)、そもそも「その人の発言」と「その人の人格」を分けて考えるって、凄く近代的な考え方なのよね。別に下層民だけが全人格を賭けて常に発言している、と言うわけでは無くて。つまり、近代的な教育を施さないと、そもそも人間は其の二つを分けて考えるようにはならないと思うのです。
 『神々の沈黙』とか読んだときに、文字が発明され、黙して思考すると言う事が行われる以前は、それこそ「発言=その人の思考」であったわけです。
 「徳」というのもそうでしょう。為政者に徳が必要という言い方をされますが、要するに政治に必要な判断力と知識、と言う言い方をせず、為政者は人格全てが素晴らしい、と言うロジックが発達するのでしょう。
 と言えば、クソサヨの「都合の悪いことを言う=人間としてクズ」「都合の良いことを言う=人格者」というロジックも、クソサヨは馬鹿しか居ないから、とも言えるし、そもそも社会主義の考え方が「指導者が偉大で万能だから指導者が正しい」「前衛だから正しい」となっているのだが、そもそもマルクス主義がヨーロッパで発展せずにロシアのツァーリズム、中国の一君万民と結びついてゆがめられて今の共産主義になって、これは北朝鮮をみれば分かるが「偉大だから正しい」となって、ああだんだん話が逸れてきた。つまり「特殊で理解不能」と言うよりは「非近代的でむしろ普遍的」とも言うべき物なのでしょう。
 一連のクソサヨの手のひら返しも、「人格者→正しい」が変形して「正しい(自分らに都合が良い)→人格者」となってしまっただけであると考えれば、まあクソサヨは非論理的で野蛮で知能が低いが、なぜそんなクソみたいなロジックになってしまったかはまあ理解できる。クソサヨは現代に生きる価値がないんだね。

0049.jpg
nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感