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疲れた [その他7]

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いまの若者は「批判」を「悪口」や「人格否定」と捉えている?今井絵理子さんのツイートが意外な方向で議論を呼ぶ

 トイレしててふと思ったんだけど(特に意味は無くてトイレとか風呂は考え事がはかどる)、そもそも「その人の発言」と「その人の人格」を分けて考えるって、凄く近代的な考え方なのよね。別に下層民だけが全人格を賭けて常に発言している、と言うわけでは無くて。つまり、近代的な教育を施さないと、そもそも人間は其の二つを分けて考えるようにはならないと思うのです。
 『神々の沈黙』とか読んだときに、文字が発明され、黙して思考すると言う事が行われる以前は、それこそ「発言=その人の思考」であったわけです。
 「徳」というのもそうでしょう。為政者に徳が必要という言い方をされますが、要するに政治に必要な判断力と知識、と言う言い方をせず、為政者は人格全てが素晴らしい、と言うロジックが発達するのでしょう。
 と言えば、クソサヨの「都合の悪いことを言う=人間としてクズ」「都合の良いことを言う=人格者」というロジックも、クソサヨは馬鹿しか居ないから、とも言えるし、そもそも社会主義の考え方が「指導者が偉大で万能だから指導者が正しい」「前衛だから正しい」となっているのだが、そもそもマルクス主義がヨーロッパで発展せずにロシアのツァーリズム、中国の一君万民と結びついてゆがめられて今の共産主義になって、これは北朝鮮をみれば分かるが「偉大だから正しい」となって、ああだんだん話が逸れてきた。つまり「特殊で理解不能」と言うよりは「非近代的でむしろ普遍的」とも言うべき物なのでしょう。
 一連のクソサヨの手のひら返しも、「人格者→正しい」が変形して「正しい(自分らに都合が良い)→人格者」となってしまっただけであると考えれば、まあクソサヨは非論理的で野蛮で知能が低いが、なぜそんなクソみたいなロジックになってしまったかはまあ理解できる。クソサヨは現代に生きる価値がないんだね。

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