局部修正というキャンセルカルチャーを全国人民の団結の元に撲滅粉砕 [その他8]
安倍元首相、銃撃事件:私も自分の選挙、仲間の選挙応援で全国を走り回ったが、有権者と接近しようとするために、警備の要請と矛盾する行動となる。しかし、銃のない日本ということで、SPもナイフなど刃物に対する防御が主となる。奈良の現場の写真を見ても、銃対応警護のシフトにはなっていない。
— 舛添要一 (@MasuzoeYoichi) July 8, 2022
まず銃声が一発でたら瞬間的にSPが覆い被さって地面に伏せさせると言うのをアメリカの資料映像で見ますが、まあ銃による襲撃を全く想定していなかったのでしょう。
それにしても、今回も犯人は敗北者の統合失調症っぽいのが救いが無い。また銃も、精度を考慮しなければ銃身を作るのは容易(鉄のつつんぽが有れば良い)であることは知っていましたが、種子島方式にすれば「銃弾を作るのが難しい」問題も回避できるのですな。ニュースを見る限りは普段から銃火器を手作りしまくっていたみたいだし。
あと、安倍っちが亡くなって一番得をするのは現状ではきっしー(ここで手記は途絶えている
この記事を読んで、逆におっさんとしては今の若者たちに感じる違和感の正体が分かった気がする。彼らは何事にも「単一の正解」があると考えそこに至る最短経路を探すが、実際には経験者から見るとそんなものは無く、大半は一意でなく条件間でばらつく「最適解」でしかないのだhttps://t.co/nnLFkf6itB
— TJO (@TJO_datasci) July 7, 2022
そうそう、この「とにかく回答を求める」行動は僕も良いとは思いません。なぜなら、「回答が既に用意されている」場合にしか成立しないからですな。この「まだ無い回答を自分で探す」事こそが「仕事」と言うか、人間がやる作業の本質なんですな。既にあるものを検索するだけなら子供の使いでしか無いんだぜ。
とは言え、情報が過多すぎて若い人が要約や結論を求めるのもある程度仕方が無いなと思うことがあるのはこないだ書いたとおり。
というか、大人でもフツーにこういう人いるよ。僕はつい最近、そういうプログラマに悩まされた。
— 岩崎啓眞@スマホゲーム屋+α【コミケ100 : 8/14 東地区 A-11ab】 (@snapwith) July 8, 2022
「google検索がうまくて、すぐになんでも探し出せる」というが、体系だって勉強しないので総体としてのコードはグチャグチャ https://t.co/5s1B7PzRmr
結局学校で教わることは、ピンポイントの知識の集合体ではなくて、知識の体系なのです。本来はね。ただし、今の受験対策に特化した学校教育だと、それを実感するのは難しいのは確かですな。受験対策なんてその最たる物で、体系だった知識を生徒に一から身につけさせ、新しい問題を一から考えて解く力を身につけるなんて至難の業なのです。滅茶苦茶手間がかかる上に、やっぱり地頭がある程度良くないと不可能なので、歩留まりが上がらないのですな。それよりも過去問を大量に解かせて問題を解く細かいノウハウを詰め込んで、本番で「なんか見たことある問題」が出る確率を上げる、つまり得点できる確率をひたすら上げる方がよっぽど確実だったりします。
「体系だった知識を身につけて、問題の解決法を自分でいちいち見つける」というのが教育の理想で、また世の中で生きていくために必要な技術というか全てなんですが、まあ難しい。なぜなら、受験だけでは無く、日常生活の大抵のことは、「ピンポイントのノウハウの山」で何とかなってしまうからです。
日常生活はピンポイントのノウハウだけでやりくりでき、体系だった知識は、本当に創造的な活動をしない限り必要無い・・・訳では無いのですけどね。と言うかそこまで突っ込んだ話をしなくても、世の中は大学高校を卒業しているのに、中高レベルの化学歴史国語数学の知識が無くて詐欺・エセ科学に引っかかる人多数ですからなぁ。
↑『サバイバル』の名シーン、主人公が「学校教育よりも不良から教わったピンポイントのノウハウの方が役に立つ」と回想して居るところ。と言っても、体系的知識を身につけて、糸くずの発火点や摩擦熱を考慮して、その場に在る物で出来る着火方法をその場で考え出す、と言うのが、教育の本来の役割なのです。受験対策が学校の目的じゃないんだぜ。