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局部修正というキャンセルカルチャーを全国人民の団結の元に撲滅粉砕 [その他8]

>熱闘風呂

 こないだから上島竜兵の追悼文がちらほら上げられていたが、改めて思うとダチョウ倶楽部の芸は完成度が高く、それでいて攻撃性が低くて、つまり汎用性が高かった。
 それはそうと、そのことに言及している記事がどれも
「熱湯風呂がぬるかった」
と言う事を前提として書いてあり、それについては少しだけ補足を。

 80年代に日曜の昼の13時から(記憶で書いているので不正確だったらスマヌ)『スーパージョッキー』というビートたけしの番組があって、当時は過激低俗番組の扱いであったが、今見るとマイルドである。
 その中で「熱湯コマーシャル」という人気コーナーがあって、これは素人が熱湯の入った風呂に入って尻を風呂の底のセンサーにつけていた時間だけいろんな宣伝が出来る(10秒か15秒が上限だった)(ネット以前であり、素人が全国に宣伝する機会もなかなか無かった)と言うものであり、近所の商店の売り出しや中小企業の新製品の宣伝等をやっていた。と言っても、大抵の出演者は1秒か2秒しか獲得できず、大抵の挑戦者は最初に名前を言っている最中にシャッターを閉められろくすっぽ宣伝できず、それも笑いに繋がるという代物でした。
 で、素人が風呂に入っていたときは、明らかに本当に温度が高かったんですよ。映像資料があれば確認して貰えば分かるのですが、1秒か2秒で風呂から飛びだして氷を求めて(氷を詰めたバケツが廻りに複数用意されていた)大騒ぎするのですが、足や腰など湯に浸かっていた部位が真っ赤に変色していましたからね。数秒で真っ赤になるくらいの高温だったわけです。
 そのうち企画の一環で、素人だけで無く若手芸人も風呂に入るようになったのですが(舞台の宣伝とかしてたような)、最初期にはまだ風呂は熱湯でしたね。風呂が熱くなくなったのは芸人だけが風呂に入るようになってからですよ。理由は明らかで、芸人は風呂が熱くなくても大騒ぎのリアクションが出来るからです。芸人だけで風呂に入るようになってからは、肌も赤くならないし、そもそも風呂の廻りに氷が置かれなくなっていきましたね。売り出し直後の小島よしおが風呂に入っても熱いというリアクションが取れなくて棒立ちになった放送事故はどの番組だったかなぁ?

『今こそマルクスを読み返す』(廣松 渉 著 講談社現代新書 1990)

 晩年の廣松渉が頑張ってマルクス擁護をやろうとした新書。頑張って擁護しているんだけど、逆に問題点が浮かび上がってしまうという涙無しには語れない一品。読んでる間中クビを捻るしか無いというロックな書物である。新書一冊なのでエッセンス集にも成っていないんだけど、それでも取り上げられた所が全部理屈がぐちゃぐちゃなのは分かるからなぁ。
 そうかこれベルリンの壁崩壊の直前か。1994年没のはずだから、ソ連崩壊を目撃して希代の天才も自分の人生が間違っていたことに気がついてから亡くなった事になるのか。聞くも涙語るも涙である。どれだけ天才でも、自分の人生が間違っていたことを認めるのは至難の業である(山本義隆なんかも最近書いた物を見れば、自分の人生が全く無駄だったことの受け入れを拒否しているのは明らか)。

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