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ノアだけはガチ [その他8]

 そもそも哲学とは何か、とか主語がでかい話をしなくても、この世の問題は「この世界はどのように出来ているのか?」「自分はどう生きるべきか?」に集約されるのよね。世界各地の神話なども、世界の成り立ちから日常生活の道徳までを包括的に論じる体系だし、古代ギリシャ哲学もとどのつまりは世界がどうできているかと生き方についてだしねぇ。現代では世界については自然科学に分離してしまっているのでそういう過去の議論が分かりにくくなっています。東洋哲学はあまり詳しくないので世界の成り立ちについてどのくらい論じているのかはあまり知らないのですが。
 で、この「世界がどうなっているのか知りたい」という問題ですが、これ、世界中の神話にも世界の説明が有るように、一部の哲学者だけじゃ無くて、一般のあらゆる人もそう思っていると言うことなんですな。
 そこでの問題は、今の哲学や自然科学で展開されている議論をきちんと追うのは結構大変で、要するに頭が良くないと世界がどうなっているのかとかよく分からんということなんですな。ところが頭が悪い人もなんだかんだ言ってそれはそれで世界がどうなっているのか理解したいと思っているのですよ。頭が悪かったら世界がどうなっているのかとか全然気にせずに生きているのかと思ったら、違うんですな。僕はあるときハッとそれに気がついたのですが、何がきっかけだったかは憶えてないや。世の中が理解できないと不安に思うのは誰でも同じなのでしょう。
 そしてもう一つ問題があって、人間は自分の理解できる理論しか採用できないんですな。(「難しくてよく分からないけど、偉い人が言っているんだから正しいのだろう」というのは彼此の能力の差をきちんと理解できていないと実は出てこないのだ。)
 要するに何が言いたいのかというと、あったま悪い人は世界を理解する際に単純な説明を採用してしまうということなんですな。「世の中が悪いのは誰それが悪い」「悪い奴を排除すれば世の中が良くなる」とかそのレベルで議論をしてしまう。陰謀論に嵌まるなんてそうで、世の中が複雑で歴史的経緯と偶然と妥協の積み重ねで世の中がこんなになっているという難しい話が理解できなくて、だれかわるいやつがうらでいろいろあやつっているのだけしからんと言う話を採用してしまうんですな。

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