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ゆっくりしていってね [その他6]

http://d.hatena.ne.jp/jun-jun1965/20160424
2016-04-24 凍雲篩雪

>むしろ前半の、『ネイチャー』『セル』などの海外の権威ある学術雑誌に投稿して、リジェクト、リヴァイスを受けて書き直すあたりが私には興味深かった。つまり、真実を追究するという学問的営為ではなく、いかにして権威ある学術雑誌に載せてもらえるか、というところに、多くの研究者の目が行っているからだ。

 そうそう、「雑誌に載せるテクニック」という物が存在するのよね。これは前に書いたが。笹井っちはこれの名手だった。

>ここで、査読制度の問題点も浮かび上がるのだが、査読者が論文を読んで掲載拒否した時に、査読者がそのアイディアを用いて自分が先に発表してしまう危険性がある。これは小説の公募新人賞でも私が気になっているところで、全体としての出来は良くないというので落としておいて、アイディアは盗まれるという恐れ、ないしそれが現に起きたといったことはネット上で指摘されている。理系ではなればこそ、早く論文を掲載させるために拙速な処理をするということにもなる。

 「リジェクトされてアイディアが盗まれる」ってことは普通は起きないんだけど。まず本当に良い論文であれば、すぐに載せないと駄目なんですよ。変にリジェクトしたら、別の雑誌に投稿されるだけですからね。しかも理系では他人の良い論文を読んで、それをすぐにパクって自分が論文を書けるかというと、そうでも無い。つまり自分でも実験してみて、正しいかどうか確かめなきゃいけないんだけど、つまり論文を書くって意外と時間がかかるのです。
 そうしてもう一つ、上の段落の、論文を掲載させるテクニックとも関連するんだけど、そもそも分野が専門家、高度化すればするほど世間が狭くなり、つまり、どの雑誌のどの分野は誰が査読をしているのか、分かる人はだいたい分かるので、つまりパクったりしたらすぐ分かるんですね。

 そもそも、この周辺の議論、おぼっち事件顛末を細かに検討することに、はっきり言うと、意味があんまり無いのです。まあ法学とか報道倫理の面では重要なのかも知れませんが、少なくとも科学的には全く無意味な形而上学的論議です。つまり、おぼっちが本当にSTAP細胞を作ったかどうかなんてのは、誰かが追試に成功すれば一発で結論が出ることなのです。
 つまりね、追試が誰も成功しない時点で、おぼっちが本当にSTAP細胞を作れたか作れなかったかに全く関わらず、科学的には無意味なんですよ。誰もが追試できて、そしてそれが実用化されなければ、それは化学じゃ無くて、もし成功していたのなら、まあせいぜい奇跡か秘術のたぐいでしかなくて、科学にならないのです。
 だから、この本のアマゾソレビューみたいなヨイショにもかかわらず、この本の議論は無意味な形而上学的議論でしか無いのです。

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