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ゆるキャン△があるならガチキャン△も有るはずだ [その他8]

 だいぶ昔のことになるのだが、梅田の紀伊国屋かどこかの大型書店の中を歩いているときに、ふと

 「今まで自分はこの本屋のある分量の何十分の一の本も読んでいない。寿命を考えるとこれからもその何十分の一の量の本しか読めないだろう。」

と気がついてしまって愕然としたことがある。生きている間に自分が直に接することが出来る情報なんて本当に僅かの割合しかない。

 と言う事はある程度おっさんにならないと気がつかない事だし、特に最近はネットワーク検索技術その他発達しており、あらゆる情報に自分がアクセス出来て、選別し、最適解を得ることが出来るような錯覚を起こすのでしょうね。それは完全に錯覚です
 結局、音楽を出だし5秒しか聞かないとか、動画を倍速で見るとかも、結局出来るだけ多くの情報を自力でチェックするための方策だからねぇ。これ極めて真面目で真摯な対応なんですよ。この「自力で全部チェックできると思う」発想を思い上がりとして嘲笑うのは容易いのですけどね。
 勿論、チェックするべき情報が昔と桁違いに多く、またチェックするためのテクノロジーもいろいろ実現しているのもあるのですが、そういう技術に囲まれてどんな情報にもアクセス出来ると思って育ったせいで、

 「自分がどの情報にアクセスするのかなんて完全に出会いの問題、運である

と言う恐ろしい事実に気がつかないのでしょう。
 ネットが無い時代なら、どの情報に接するかなんて完全に運だというのは明らかだったんですよ。雑誌の小さな記事から興味を覚えるとか、大学の部室に落ちてた漫画本を何気なく読んでショックを受けて行動ががらりと変わるとか、クソ映画を強制する先輩にクソ映画を無理矢理見させられるとか、自分が何を見るか聞くかなんて、出会いと運による物だし、そして正解も最適解も存在しないのです。
 繰り返しますが、技術が発達したおかげで、そういう運の部分が見えにくくなって、自分が全ての情報にアクセス出来て、全部自力で選別出来ると感じてしまうのも、無理はないことなんでしょう。勿論無理な話ですけどね。

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